こんにちは、すずです。
今回は最近話題の生理ちゃんについて考えてみましょう!
百貨店での生理ちゃんステッカーが話題になりましたね。
それではお付き合いください。
【生理ちゃん】が実写映画化 | さまざまな女性の前に現れるオムニバスギャグ
第23回手塚治虫文化箕短編炊を受伐したマンガ『生理ちゃん」が実写映画化され、原作に再び注目が集まっています。
女性の生理(月のもの)がゆるキャラ風に擬人化された”生理ちゃんが、さまざまな女性の前に現れるオムニバスギャグマンガです。
生理ちゃんは。
- 生理痛
- 貧血
- 眠気
- むくみ
- イライラ
- ネガテイプ思考
などが可視化・象徴化された存在です。
月に一度「来ちゃった」と甘って女性たちの前に突然訪れては、下っ腹をグーで殴り、クロロホルムを嗅がせて眠気を誘い、ぶっとい注射で大批に採血して貧血に至らせる。
生理ちゃんは、女性たちのここ一番の大事な仕事やデートを嫌なクイミングで邪魔する。
女性はそれを拒むことができず黙って耐え抜くが、生理ちゃんはそんなことを知る由もない。
女性読者に圧倒的共感を得た。
男性に読んでもらいたい漫画
本作は男性に対する啓蒙的役割も担っています。
しかもその方法が、男性に敬遠されがちな「フェミニズム豪速球エッセイ」ではなく、ポップなタッチのヘタウママンガ形式なのがポイントです。
啓蒙と聞いて警戒心を強めるあなた(男性)たちのなかには
生理がつらいことの可視化なんぞ一度言えばわかる。
連載マンガで何度もしつこく言う必要なくね?
と思うかもしれない。
しかし、それでもあなたは読むペきだ。
神回である第10回、第12回、第19回だけでも。
第10回は、沖縄旅行に来た大学生とおぼしきカップルの話。
行きの飛行機で彼女に生理が訪れる。
彼女は彼に「ちょっとゆっくりな旅行にしたいかも」と遠慮がちに詫びるが、ビュアで無邪気な男はまるでわかっていない。
事前に調べておいたかき氷屋にインスタ目的で行き(生理中に体を冷やすのはNG)、生理で横になりたい彼女を元気づけようと(あくまで無知の善意で)散歩に連れていく。
夜は性欲が抑えきれず、「タオルを敷けば大丈夫だよ」と言って迫り拒否られる。
その夜、彼は生理ちゃんに連れられ夜の浜辺で自分の無知を反省するが、性懲りもなく翌日スキューバに行こうと彼女を誘い、揉める。
彼女は彼の無知に呆れ、彼は「せっかくだし」「楽しくやろうよ」を繰り返し、ケンカになるのだ。
学校を舞台にした物語も秀逸
第12回は、ある小学校の5年生の教室。
保健体育の授業で4人の女性が生理の講師として訪れ、担任の男性教師にクイズを出す。
「家にいる奥さんに生理ちゃんが来てます。なにを買って帰ったら喜ばれるでしょう?」
4人は
- 貼るカイロ
- ホットはちみつレモン
- 鉄分ドリンク
と口々に言う。
じゃあ、うちの奥さんにはなにを買って帰れば?と無邪気に聞く男性教師に、講師は言う。
奥さんに聞けよ!!!
生徒からは「生理ちゃんでつらい人がいたら助けるよ!」「わたしも生理ちゃんのこと、恥ずかしがらずに話すようにする!」
と行儀のいいな見が出て収まる……と思いきや、講師のひとりが遮る。
「ごめん、そうじゃない」
彼女たちの主張を意訳すると、こうだ。
私たちは具体的に支えてもらいたいわけじゃない。
生理をオープンにして話し合いたいわけでもない。
ただ、知ってほしいのだ。
生理とは女性に「晋通にあるもの」であり、「なんでわたしたちにはあるのに、お前ら男子にはないんだ」という怒りと理不尽を、常に抱えている。
我慢している。それを、ただもう、知ってほしいのだと。
ニュースにもなった百貨店での生理バッジ
第19回の舞台は大春百貨店というデパート。
販売促進部のえりな(33歳)が、女性の体に寄り添うことをテーマにした売り場を期間限定で企画する。
その極めつきとして、生理中の販売貝の胸にピンバッヂをつけることを提案する
のだ。
しかしジュエリー販売員の女性は「生理でつらいなんてお客様に悟られた時点でプロ失格」とバッヂを拒否。
バッヂは世間に波紋を呼び起こす。
実際にもTwitterに「わたしが販売員でこんなこと強制されたら完全にセクハラ。大春百貨店好きだったけど、ニ度と行かない」と書き込む女性。
街には賛成意見も見られる一方、年配女性が「そういうのを口にださずに、わたしたちはなんとかやってきたのよ」と苦言を呈し、若い女性が「キモいおやじが店に現れそう」と懸念する。
「気の強い女だけが集まって考えたバフォーマンスなんじゃないの?」と椰楡する男性もいる。
売り場にはいかにも上流なマダムが現れ、嫌味を言う。「百貨店も落ちるところまで落ちたのかしら」。えりなが理由を聞くと、「生理がこない人もいる。傷つく人間がいるということよ」。
生理の1日目が終了
ようやく1日目が終わる。
ナプキンのおかげで女性の社会進出は進んだが、マインドは昭和に訊き去りのままです。
結局男にどうしてほしいわけ?
痛みは代わってやれないんだけど、世の女性が怒っているのは、まさにそこだ。彼女たちは「具体的な指示をくれ」という怠慢な心根そのものに、腹が立っている。
彼女たちが男に求めるのは、代わりに重いものを運んでほしいとか、生理による就業の停滞を待遇面で考慮してほしいとか、そういうことではない。
「もっと、わたしたちのことを考えてほしい」だ。
もっとわたしたちの苦しみについて、思いをめぐらせ、あなたの脳内に占めるわたし(たち女)の割合を増やしてほしい。
それに、取ってほしい行動をわたしがあなたに具体的に要求したら、それは「わたしのわがまま」になってしまう。
わたしに後ろめたさを植え付けないでほしい。
あなたの義務は、わたしにそういう罪悪感を抱かせないこと。
具体的な指示をさせないこと。
そして、わたしの苦しみについて考えをめぐらせ、心を痛めてくれること。
「言われたことをやる」なんてバカでもできる。
自分で問いを設定し、それについて悩み抜いてほしい。
わたしはあなたに、そういう思考コストを払ってほしいの。
もし、わたしを大切だと思うなら。
5年生のクラスに赴いた講師たちは、「知ってほしい」という漠然とした望みだけを残して去っていった。
大春百貨店の企画に対する賛否両綸はこの先を残して去っていった。
大春百貨店の企画に対する賛否両綸はこの先彼女たちは解決を求めているわけではない。
フロアマネージャーが示した表面的な共感を求めているわけでもない。
その、答えの出ない問いを問い続けねばならない苛立ちを少しでも緩和するのは、男どもが並走して考え続け、悩み続けることだけ。
それでしか、たぷん彼女たちは救われない。
そうやって表面だけは合わせてくれる。
そういう構図ですよね、見と女って。